犯人が伊集院光のラジオを聞いていたら秋葉原事件は起きなかったかもしれない

今更だが、先日の授業を受けた後で先日の秋葉原の事件に、犯人の直接的暴力以外の暴力はなかったのか、考えてみた。


僕は高校の時に10-FEETをよく聞いていて、最近は伊集院光のラジオばっかり聞いている。はてなで日記を書いているし、Twitterのコミュニティにも毎日顔を出している。何故これらを僕が好んでいるのかというと、今の日本社会には確実にないものが共通してここにはあって、とても居心地が良いからだ。


現在の日本社会はネガティブを肯定しない。逃げることは醜いことだし、耐えることこそが美徳とされてきた。人が堕ちて行くのは努力が足りないからで、日本から堕ちないためには努力を怠っては行けない。彼女なんか居て当たり前で、大学生はもれなく楽しんでいる奴らばかりだ。ため息はついてはならない、ポジティブな人間でなければならない。
これは本当に息苦しい。だから僕は伊集院のラジオを聞き、はてなで日記を書く。


浪人するとわかるのだが、勉強をしていないときに「勉強をしろ、頑張れ」と言われるのが実に辛い。自分が日本社会のレールからはみ出たところにいて、もう崖っぷちのどうしようもないところにいることを実感していく、そして逃げ場がないと人はどんどん追いつめられて行く。日本は敷かれたレールからはみ出るととても生きにくい仕組みになっていて、僕みたいな年中ぼーっとしているような奴はすぐにこのレールからはずれてしまう。本当に日本から降りたくなるのだけど、そこで人生から降りる人も少なくないと思う。


いじめについてもそう思う。いじめがあると先生や親は「頑張れ」だの「耐えろ」だのみたいに結論づけられることをわかりにくく遠回しに言うけど、まずするべきことは逃げ場を用意することだ。「学校には行くな!ひきこもれ!」が親としての一番正しい声援だし、いじめがあったらさっさと転校するのが最良だと思う。


メディアにも疑問を持つ。今のメディアは「障害にも負けずに頑張っている人」とか「夢に向かって努力している人」みたいなのばっかり励賛して、ニートとか引きこもりを大問題みたいにとりあげている。ニートになって日本社会からはじかれても楽しく生活している人とかをクローズアップするべきだし、いじめに負けて逃げて逃げて逃げ切った子供を祭り上げるべきだ。最近のJPOPもやれ「夢に向かって」だのやれ「やまない雨はない」だの、もっとネガティブだらけの暗い歌詞にすべきだと思う。


伊集院光深夜の馬鹿力は本当に良い。パーソナリティーもリスナーも自分に自信のないネガティブなやつらばかりなので、安心して聞いていられる。「気持ち悪い不細工な童貞ですがなにか?」みたいな奴らが深夜に集まってお互いのネガティブを肯定しあっている。そうやることが人間として自然なことだと思う。


とにかく全日本人は伊集院光深夜の馬鹿力を聞くべきだ。