ものを買うのは面倒臭がらない方が良い
最近習慣化できてきたもののなかで、これは習慣化して良かったと思うのが「ものを買うことを面倒臭がらない」ということだ。
ものを買うことは本当に面倒くさい。自分の問題を認識し、それを解決するものを探し、自分の条件に合うものを取捨選択し、残ったものの中から評価をもとに自分にとってベストなものを決める。更にいうと、自分のキャッシュ・フローとターゲットの値動きも考慮に入れて最高のタイミングで「買う」という行為を実行しなければいけない。
僕は学生時代にすごく貧乏だったせいであまりモノを買うという習慣がなかった。基本的に贅沢品は買っていなかったし、自分のニーズに対して、ほとんどの場合「あきらめる」という選択をしてきた。そしていま、社会人二年目に入り、そこそこの給料をもらえるようになって、大抵のものを買うことができるという状況になってきている。その事実がひどく面倒くさい。
生活をしていて、不便だと感じることが多々あって、そしてそれを解決するために買うものも知っているのだけれど、それを買うというところに達するまでにものすごく時間がかかる。「支給品のキーボードがクズだし、健康に悪いから買い換えたいな」「でもそのコストを回収できるのか?」「日常的に使うものに投資をしないのは狂っているな」「HHKBかrealforcceをさわりに行かなければいけないけど、面倒くさい」「減価償却とか考えると、さっさと買ったほうがいいな」「そもそもデスクトップを今後も使うのか?」みたいな考えをうじうじとして半年だとかが平気で過ぎる。結果的に買ったら大満足でなぜ早く買わなかったのだろうと思ってしまう。
ものを持つというのは、それだけでコストになる。そして、そのコストを受け入れるだけの価値をもたらしてくれるのかどうかを判断しなければならない。それは自分にとってのベストであって欲しいし、なぜそれが自分にとってのベストであるのかの明確な理由がほしい。それ以外のものは持っているだけで自分の投資判断のミスを見せつけられているようでストレスになる。経験やデータは所有するコストが低いので、こういうものにはガンガン金を使っている。
これが今までのおれだったのだけれど、最近なるべく「ものは潔く買う」ということを実践している。理由はいくつかあるのだけれど、基本的に「おれの中で時間がの価値が金の価値を追い越した」からだ。
時間が貴重だ。昔はそうでもなかったのだけれど、いまだと金で時間を買わなければならないというのがわかる。これもおれが自分の人生をコントロールできるだけの能力がないせいなのだけれど。だから、おれは金を時間にかえることはするけれども、逆をしなくなった。その結果、なるべく時間をかけずに自分の幸福度を上げるという選択をするようになってきた。
ものは買わないと、それを経験できない。だから、買う前にその経験を探ろうとして時間を費やすことは本当に効率が悪い。ゆえに潔くものを買う。大抵の場合は幸福度があがる。
もちろん、衝動買いを繰り返すのではなく、ある程度の調査と判断はする。判断基準としては「時間を捻出してくれるもの」「健康を促進するもの」「なにか能力を向上させてくれるもの」「自分が高頻度に使う姿を想像できるもの」などはさっさと買っている。最近だと、歩きやすい靴、技術書、水筒、などを特にためらわずに買った。
今のところ、ものを買うことを面倒臭がらないというのがうまくいっていると思う。今後も続けて行きたい習慣だ。