学食はパーティションで区切ればすべてがうまくいく

うちの大学の学食は気が狂っていて、学生の数の割に学食の席の数が極端に少ないため、昼時になると学食に入れずに外の寒空の元、道端に座り込んで弁当を食べる学生が出ている。スラム街のようで便所飯よりもひどい。大学の周囲には飲食店もなく、丘の上にある大学から遠くの飲食店まで食べに行くのは一苦労であるので、僕ら学生は追い詰められている。それなのに大学はますます生徒を増やそうとしており、このままではクーデターがおこるのも時間の問題であるので、大学の平和のためにおれたちが重い腰をあげたりさげたりあげたりしなければならない。学食は全席をパーティションで区切るべき。


大学の学食が混む原因は学生は群れるからである。ブスは群れると誰かが言っていたけれど、それ以上に学生は群れる。学生の群れが学食にくれば無駄ができる。「空間的な無駄」と「時間的な無駄」である。空間的な無駄というのは、学生グループ間の隙間である。学生というのは他の群れに干渉することを極端に恐れる生物であるので、他の学生グループとは隙間をあけて座る。また、自分の群れの中に他の学生が入ってくることも嫌うので、自分らの周りまで余計なぶんの席を占領したりする。それらの隙間に座るというのは敵だらけの中にひとりただずむようなものであるので、事なかれ主義のおれたちは絶対にそんなことはできない。


時間的な無駄というのは、学生が群れで食べると、当然のように食べるのが遅くなる。遅くなるのならまだしも、食べ終わっても席を立とうとしない。同じ話をくり返ししゃべっており、誰も彼もが長期戦に持ち込もうと死に物狂いである。たまに「学食が混んできたから早めに食べて、席を立ちましょう」と心遣いのある可憐な乙女がいるのだが、その乙女が早めに食べ終わってもその群れの全員が食べ終わるまでは席を立つことができない。


これらの無駄をなくすためには、群れを分断することである。個人単位まで分断してしまえば上記の無駄はなくなり、おれたちの学食にも平和と調和が取り戻せる。学食を席ごとにパーティションで区切ってしまえば良いのだ。ツボの中に大きな石をいれていくよりも、細かい砂を入れていく方がたくさんはいるのは自明である。となりを気にしなくても良いので無駄なスペースはなくなるし、無駄なおしゃべりはなくなる。食べるのに集中するために早くたべ終える、ひとりで食べているので誰かに足並みを揃えることもなく席をたつこともできる。なによりも、ひとりで学食に行くことに気負いを感じなくなるので、便所飯なるものがなくなるのである。みんなハッピーである。


大学はもう少しだけおれたちの食事情について反省し、精進すべきである。