実力をはかりたいのならテストのインターフェースを本気で考えるべき

大学初のテスト期間が終わった。基本的に授業内のみで理解して、さぼったり聞いていなかったところはしょうがないという気持ちで臨んだテストなので良くも悪くもそこそこのできだった。単位を落としたりとかはないと思うけど、成績優秀者学費免除とかは無理だろうな、という感じ。


大学で受けるテストは初めてだったわけだけど、テストによって本当に「もうちょっと学生のことを考えろよ」というテストがいくつかあった。それは問題の質とかの話じゃなくて、テストの解答欄とか形式とかが本気で悪ふざけとしか思えないようなつくりだったというような話。


物理のテストはひどかった。問題数は大問で5問ほどでほとんどが長い式を書かなければいけない証明問題。そして解答用紙はなし。なんと、問題用紙のうらに解答をしろとか言っている。頭悪いね。物理は問題設定がややこしい科目なので問題を何度も見直さなければならない。その度に裏返して問題の箇所を探して読んでまた裏返して、を繰り返さなければならない。しかも、糞長い解答を書かなければならないのに、半枚しか解答欄がないので必然的に半分くらいしか解答ができない。


対して数学のテストは生徒に配慮のあるインターフェースだった。当たり前ではあるが問題とは別に解答用紙を渡され、一緒に計算用紙も渡された。そしてテストには「どの問題から解答をしても、問題番号を明記しておけば採点をする。解答用紙に書いてあるもの全てを採点対象とする。」ときちんと書かれており、解答用紙が足りなくなった場合は申し出ればもう一枚もらえる仕組みだった。ここまでしてもらえれば、解答用紙に書かれているのは受験者の実力になるだろう。


中学のときにテストの解答用紙がざら紙(すぐに破れる質の悪い紙)だったことがあって、書いている途中で破れることが多くて先生に抗議をしにいったことがある。それからは解答用紙にだけはやぶれにくい上質なものになった。浪人時代は、大量のプリントを把握するには狭すぎる机と隣の人の肘が当たるようなぎゅうぎゅうにつまった教室で毎回テストを受けさせられていた。テストの問題の質は良かったのだが、そんな状況でテストをしても実力は出ないと思っていたので、最低限のテスト以外は問題だけ持ち帰って家で解いていた。


大学が本気で学生の実力をはかりたいのなら、学生が実力を出し切れるようにテストのインターフェースには細心の注意を払うべきだと思う。せっかく良質の問題を時間をかけてつくっても、他の要因で全部水の泡になってしまう。学生もたまったもんではない。テストを始める時間帯、机の大きさ、空調、騒音など、他の要因で自分の実力を過小評価されてしまう。


可能な限りで良い。問題用紙を解答用紙と分けたり、解答欄を十分に用意しておいたりくらいは配慮できるだろう。大学はもう少し考えて欲しい。


参考
テストというインターフェースが苦手なやつはどうしようもないよな