語彙のレベルはメディアのリアルタイム性に依存する

話をするときにわざわざわかりにくい言葉を使ったり専門用語を使ったりする人たちは、周囲の人の苛立ちを一切合切自分が請け負うことで世界から戦争をなくそうと思っている人ばかりだと思うので、そういう人たちにノーベル平和賞を与えるべきだと考えているおれたちですけれども、語彙のレベルってのはその会話だの文章だのの載っているメディアのリアルタイム性に依存するということをもう少しみなさん考えた方が良い。


いまの時代、少しぐらいわからない言葉があったってググれば良いのだし、ググる時間が読み手に十分に与えられているメディア、つまりブログとかメールとかであればどんどん不可思議な言葉を使っていも良いと思う。逆にチャットとか、さらには会話や講義みたいなリアルタイム性の高いメディアで言葉を発するときは十分に語彙のレベルに注意して、相手にわかりやすい最適な言葉を選ぶべき。twitterは少し微妙なところで、独り言だとしたら専門性たっぷりでも良いだろうけれど、誰かとreplyし合っているようなtweetであれば気にかけるべきかもしれない。まあtwitterは完全にリアルタイムではないので、読み手が勝手に時間をかけてググれば良いのだからあまり気にしないでも良い。


つまり、よくいわれる「聞き手にあわせた語彙を選ぶ」っていうのは少し言葉が足りていなくて、正確には「聞き手とメディアにあわせた語彙を選ぶ」のが正しい。例えば大学の講師陣は生徒という同じ聞き手に対して、配布資料などではググること前提で難しい単語を満載して解説していても良いと思うが、実際の講義ではもう少し言葉を分かりやすくした方が良い。


注意するのはググる習慣のない人種に対するときだけで、そういう人種がのさばっているメディアでは例外なく最高にわかりやすい表現を使った方が良い。mixiだとか携帯のメールだとかだ。mixiの日記なんかはどうせ自分アピールしかないのだから、自分世界の言葉100%で書けば良いのだろうけれども、自分アピールも読み手がいなければ成立しないし、読んでもらうためにはくどいくらいにわかりやすくしないといけない。ここらへんを理解していないからおれたちはなんか面倒くさいやつだと思われるし、おれたちもおまえたちのことをうっとうしいと毎秒思っている。