伊集院光の語るテレビの未来の表現方法について

先日の伊集院光深夜の馬鹿力で伊集院が家電の未来について語っていた。技術発表会的なイベントにプライベートで行って来たらしく、薄型テレビだとかプロジェクター付きの携帯だとかについて触れていたのだが、伊集院が語る未来を感じる家電の話が面白かった。伊集院はテレビがどれだけ薄くなったとしてもあまり未来は感じないのだという。もっと、自分が想像できないような、「こんなことができるんだ!」と感じるようなものでないと未来っぽくはないと言っていた。


そんな中で伊集院が一番未来を感じた家電が一つ話題にのぼる。それはアイデア商品の防犯カメラだった。その防犯カメラは半球型の鏡をうつすように作られており、魚眼レンズで見えるような映像をコンピューターで解析して元の形で見えるようにすることが出来るというもので、360°全体を一気にうつすことが出来るという長所があるものだった。そのカメラでうつせば、今見ている画面を右にずらせば右に映っているものを見ることが出来る。つまり、今見ている画面の外でも写っていることを、見ようと思えば見ることが出来る。


伊集院はこの既存の技術を生かした防犯カメラに新しい可能性を感じたのだと言う。新しい何か表現の可能性が生まれそうだと伊集院は語った。伊集院はラジオではこのことに関してはあまり深く言及しなかった。言及しようとしていたのだが、自分の感じているもやもやとしたものを言語化できずにもどかしそうにしているようだった。


ここからは僕の妄想になるのだが、伊集院の感じた未来はこの「コンテンツの一部を見ることができ、見ていない部分にもコンテンツが確かに存在すること」に新しい表現の可能性を感じたのではないだろうか。「受動的なコンテンツを能動的に切り取ることができること」に未来を感じたのではないだろうか。


この表現方法で例えばドラマをつくったとする。通常の主人公の視点でのストーリーを見ることも出来るのだが、確かに存在している脇役の冴えない男を追いかけ続けることもできる。正義のヒーローの視点で見ることもできれば、悪の親玉が綿密な作戦を練っているところも見ることが出来るし、ヒーローが壊した街を修復しているおっさんを見ることもできる。


視点が変わればストーリーも変わる物が面白いだろう。いろいろなストーリーの断片を拾い集めることで真実が見えてくるような表現方法も考えられるかもしれない。


実際のドラマでは24が一番近いだろうか。刑事が動いているときに大統領も確かに動いていて、どちらを見るかは自由に選択ができる。そういえば伊集院光は24が流行る前にサンプルとして手に入れたDVDを新しい表現方法だと大絶賛していた。もともとこのような考え方を持っていたのかもしれない。


バラエティやニュースでも応用ができないだろうか。バラエティではテレビに流れていないところで面白いことを言っている芸人もいるのだと思う。僕はクイズ番組は伊集院光さえ見ていればいいので、伊集院だけうつせるようになるとありがたい。ニュースだと一つのニュースでも、資料を見たければ資料を、現場の動画を見たければ動画を、専門家の意見を見たければ専門家をうつせるようにすればいいのかもしれない。


伊集院光はかなりのアイデアマンで、本気ではっとするようなことを思いつく。プロデューサー的な立場が向いているのだと思う。