ふぁぼったーはデュシャンの泉みたいなもの

ふぁぼったーは面白い。twitter本体よりもふぁぼったーを眺めている方が遥かに面白い。ふぁぼったーには斬新な視点や小粋な言い回し、おもしろい個人ニュースなどが濃縮されており、そこを読んでいるだけでtwitterの面白い部分を良いとこ取りできる。非twitterユーザーでもふぁぼったーだけは見て欲しい。


ふぁぼったーにあがってくる人気の発言(通称赤ふぁぼ)には二種類あって、一つはふぁぼったーを意識したそれ一つで作品と言えるような発言で、もう一つは日常の文脈の中での普通の発言が評価を得てあがってくるものだ。どちらも面白いのだけれども、僕の琴線に触れるのは後者の方だ。


ふぁぼったーは選ばれし発言の美術展のような雰囲気があり、そこで赤ふぁぼを得た発言は評価が高い発言というお墨付きをいただくことになる。そこに日常の文脈上の発言が入ることは実に面白くて、その人の発言の前後を無視して切り取ってしまっている。そして何の変哲の無い発言でもふぁぼったーに入ることで、クスリと来る名言のようなものになるのだ。


これはデュシャンの泉に似ているなと思った。デュシャンは既製品の便器を芸術だと宣言をして美術館に飾ることによって、便器を芸術作品へと昇華した。美術館という場がその作品に意味付けをしたのだ。ふぁぼったーの発言も、twitter上では流れていくような発言でもふぁぼったーに入ったことで名言のように見える。基本的にtwitterの発言には前後の文脈があり、他のユーザーの発言の影響などもあるので、一つの発言を切り取ってその文意を正確に伝えることなどは不可能なはずなのだが、そこを敢えて切り取ってしまうことでそれを芸術作品へと昇華してしまう。


twitterでのわずかばかりの秩序を無秩序に選別して来たふぁぼったーは混沌としたなかに芸術性が現れる。それほど人の日常は客観的にみると芸術性に富んでいるのかもしれない。