今おれの中で「日常会話の録音」がアツい

最近おれの中で一大ムーブメントを起こしているのが「日常会話の録音」で、これが面白すぎてたまらないから無差別にこの活動を薦めておく。自分の日常会話を録音して、暇なときにラジオのように聴くというだけのとても簡単なものなのだが、これは今後の日本文化に根付いても良いくらいの面白さと可能性を秘めていると思う。今おれの中で「日常会話の録音」がアツい。


やり方をもう少し詳しく書くと、友達と飯を食っている時などにおもむろにiPhoneの録音アプリ(HT Recorder)を立ち上げ、そのまま録音する。そのことは友達に適当に告知しても良いし、おれの場合は友達がおれのことを「会話を録音する変な奴」と認識しているので特に何も告げずに録音したりする。その際にiPhoneを見える位置に向けて録音していることを一応知らせている。そして普通に会話を続けて、適当なところで録音をとめる。あとで聞き返すことも考慮して、時間は15分以下がちょうど良いと思う。録音は意識しない本当に普通の会話が望ましい。


これだけのシンプルな悪趣味なのだが、自分の「普通の会話」を聞くのは非常に面白い。「アホなことばかり喋っているな」という感じで聞くのも面白いし、自分や友達の喋り方ってこういう感じなんだという新鮮な発見がある。なによりも「日常を切り取る手段」として非常に秀逸である。学生生活の思い出の記録というと、おそらく写真がすべてだと思う。今であればtwittermixiのログも当時の思い出を想起させることが出来るのかもしれないが、写真の力には勝てないだろう。


しかし、写真は確かに自分の思い出を切り取っているのだが、「自分の日常をのこしたいとき」にはいくつかの欠点がある。まず一つが「写真は被写体を記録するもの」であるということだ。写真は撮影者ではなく、撮影している相手を記録するのだから、自分の記録を残すのが難しい。風景や料理、友達などをおさめたり、自分ではなく子供の成長などの記録であれば写真は秀逸だと思う。また、写真で常に連続している「日常」を切り取るのは非常に難しい。カメラを起動している時点で「非日常」になるからだ。手元の写真はほとんどが非日常を写したものになっているのではないだろうか。


録音は日常を切り取るのに適している。写真やムービーであれば記録中ずっとiPhoneを操作していなければならないが、録音は開始の操作をすればあとはiPhoneに触らなくても勝手に録音してくれるし、意識しないで良いので日常が流れやすい。自分の思い出なんてほとんど全てが友達との会話で成り立っているのだから、年月が経った後に、大学時代の友達との日常会話を聞けるなんて非常に面白いと思う。もし自分が中学時代の日常会話を聞けるのであれば、お金をだしても良い。


超高性能な録音機器であるiPhoneが常に手元にあり、なおかつそれが日常にとけ込んでいる今だからこそ出来るのだと思う。おれは友達用にポッドキャストに流したりして共有しているけれど、自分一人の趣味としてニヤニヤするだけでもやってみて欲しい。