正義が多数と結びついたときにいじめは発生する

痛いニュース(ノ∀`):「保険かけて死ねよ!」と土下座社長を取囲み嘲笑 八王子自動車教習所閉鎖説明会での私刑動画がアップされる
これは怖すぎる。最初にこの関連ニュースを聞いた時は純粋に受講生がかわいそうだと思った。僕も貧乏な中、小さい頃からお年玉などで貯金していた金を全ておろして、さらに親に借金をして自動車学校に通ったからだ。夏休みをまるまるつぶして通った。途中で自動車学校が潰れたり、またリセットとかいわれたらキレるだろうと思った。



しかし、今回の動画は様相が違う。明らかに「悪」の社長を取り囲んで、自動車学校の件とは関係ないことまで言いたい放題だ。今回の事件で非があるのは完全に社長であり、受講生は被害者である。つまり、受講生が社長に何を言っても正義になる。自分のなすことに正義の免罪符がついたときに人は歯止めがきかなくなる。自分の行動を独自の理由で正当化した犯罪の多いこと。


正義とか悪とかいう価値観は幼稚なのかもしれないけれども、学級崩壊が多発していた中学で育った僕は、いじめをする人間は自分が正義だと信じきっていることを知っている。それが自分を正当化した正義であれ、いじめは正義が悪に対して行う物だ。この時の悪は絶対悪ではない。絶対悪はいじめられず、むしろ「相対悪」とでもいうのだろうか、正義の反対側がいじめられる。いじめは正義感の欠如などではなくて、正義がマジョリティーとなり、その正義がそのコミュニティの法で認められたときに発生する。その法とは、そのコミュニティのリーダー格の好みであるかもしれないし、利害関係かもしれない。


ルールを破ることは悪いことだ、差別をすることは悪いことだ、人に暴力をふるうことは悪いことだと教えられる。そしてその悪いことをしてしまった人は悪い人間であるので、何を言っても許される。こちらに正義があるのだから。


かなり悪質だと思われるいじめにも正義がある。「彼が気持ち悪くてみんな迷惑してるんです」「遊びに誘ってるのにいつも彼女は断ります。グループの協調性がみだれます」


今回の事件は自動車学校側が悪い。明らかに悪い。正義は被害者側にある。相手は反論できないし、化粧やネイル、なんでも言えるぞ。土下座動画だって公開するし、人格否定しても文句は言われまい。さあ僕らは正義だ、なにも怖いものなどない。