安斎育郎先生の平和学の講義が最高に面白かった

こんなに面白い授業を受けたのは大学に入ってから初めてだ。おそらく立命館大学で最も面白い授業ができる教授なのではないだろうか。
安斎育郎 -Wikipedia

授業

まず、自分の出たTV番組「世界一受けたい授業」を見せられる。なんだこの先生は?と思いながら番組を見終わった後、おもむろにスプーンをとりだして、スプーン曲げをしてみせた。そうして始まった授業だったが、「人はいかに騙されやすいか」の視点からユリゲラーサイババオウム真理教などのインチキの種明かしをしていった。オウム真理教から名指しで批判を受けていたという先生は理路整然と科学的にオカルトの種を証明して行く。


そして、主題の平和学について話が及んだ。平和とは「戦争の無い状態」を言うのではなく、「暴力の無い状態」のことを平和と呼ぶのだ。暴力とは「人間の能力を100%発揮するのを阻害する原因」だと定義する。現在、世界では4秒に1人飢え死にしていっており、飢餓での死者数は年間5,000,000~15,000,000人と言われている。しかし、先生の友人の瀬戸昌之教授によると、全世界の人口の67億人を肉団子にしたときに直径何mの団子になるかというと、なんとたったの直径860mにしかならない。立命館のキャンパスにも収まる程度である。食料援助は1000万tだが、その2倍の食料を日本では廃棄している。つまり、地球には食料はいくらでもあるのに、それを食えずに飢餓で死んで行く人々がいる。社会のありようが人を殺している。


暴力には3つの種類がある。

  • 直接的暴力(主体の見える暴力)
  • 構造的暴力(社会の構造によっての飢餓など)
  • 文化的暴力(放射性廃棄物を捨てる場所など)

その戦争の原因は本当に一つなのか?犯人だけが悪いのか?


戦争の歴史は続いている。日本人が壮絶な経験をした第二次世界大戦での使用された火薬の量は3Mt(メガトン)だが、ベトナム戦争では7Mtであり、さらに枯れ葉剤まで使用されて未だに爪痕を残している。スペインのゲルニカにドイツが世界初の無差別爆撃をしかけたのは1937年のことで、その後にピカソが祖国が撃たれた怒りを絵に表した。その絵は戦争の教訓として世界を巡り、ペナントが国連に飾ってある。戦争について語ることは重要なことなのだ。


現在、立命館大学では世界で唯一の大学所有の平和博物館を保持している。そこにはリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー独大統領、モーリス・ストロング国連平和大学総長、王穀中国在日特命全権大使などの各国の著名人が来館している。さまざまな取り組みをしており、一例としてはAPUに通う36カ国の学生に自国の歴史の教科書を持って来てもらい、翻訳して展示することで多様な視点からの戦争の歴史を見ることができるような展示など、有益な展示をしている。


フォンブラウンという科学者がドイツで長距離ミサイルを開発した。その後アメリカに渡り、ミサイルの改良を続けた。本人は遠くまで飛ぶミサイルを作りたかっただけであり、その成果が何に使われるかなどどうでもよかったのだ。没価値的思考である。没価値的になってしまった科学者は、科学者として死ぬ。僕ら学生は絶対に科学者としての哲学を捨ててはならない。

感想など

このような内容の授業をユーモアにとんだ喋りでしていただき、あっという間に90分経っていた。平和になるために取り除かなければならない原因を見間違ってはならない、平和の語り手を絶やしては行けないということだろうか。僕は、物事にはなんらかの影響が続くというミーム(文化的遺伝子)と呼ばれている概念がとても好きなのだが、平和について学び発言するというのは平和に邁進するという意味でとても理にかなっていると思う。行動には必ずミームが発生するのなら、これらの行動は必ず世界を平和に向けて好転させるだろうし、平和学習や終戦記念日に戦争についての映画をながすことは確実に意味のあることだ。その影響がいつどこに現れるかわからないが、平和を求めるのならガンガン平和についてのミームをまき散らすべきだと思う。立命館大学の取り組みについてもとても面白いし推奨するべきだと思った。


参考
立命館大学国際平和ミュージアム