20世紀少年よりも数百倍ぶっ壊れてる「ザ・ワールド・イズ・マイン」


久々に興奮する漫画を読んだ。おそらく20世紀最大の問題作で傑作だと思う。この漫画は圧倒的暴力で次々と既存の価値観をぶち壊していく。テロリストと巨大生物、より大きな力に人はひれ伏す。命とは何かを追求し、そしてその命を最大限に祖末に扱う。「二人のテロリスト」と「謎の巨大生物」の二つの物語が同時に進行する。


力に憧れる青年が、大きな力を持つ野人に出会う。そして力こそが絶対的価値だと、力を振るうことだけが目的のテロリズムを繰り返していく。爆破テロ、警察署襲撃、一家惨殺、無差別通り魔、殺人代行。暴力を見せつけそして世界に価値観を問いかける。しだいにカリスマ的二人の暴力にひれ伏すものが現れ、世界の秩序は崩れていく。「俺は俺を肯定する」というこの作品に貫く犯行声明が、集団の秩序を崩していく。人を殺すことにためらい、麻痺し、殺し、命の重さを学び、ためらい、殺し、笑う。二人のテロリストが命の重さを全く別方向に理解していく過程がコントラストに描かれている。「人の命は平等に価値がない」と彼らは言う。


同時に謎の巨大生物「ヒグマドン」の存在が少しずつ明らかになっていく。各地で少しずつ被害を残し、徐々に明らかになっていく巨大生物の力にひれ伏す者達があらわれる。力を匂わせながらもずっとテロリストの二番手の存在であったヒグマドンがとうとう出現し、テロリストよりも遥かに大きな力を人々に示す。より大きな力に出会った人々は巨大生物を崇め始める。


物語中、さまざまな立場の人々が命に対する価値観を問いかける。「人の命は平等に価値がない」と言うテロリスト、「人の命はみんな繋がっている」という女子高生、「人の命は時価だ」と言い切る総理大臣、「人質が生きている可能性がある限りはその命をすくわなければならない」と言う田舎警察署長、「自らの社会を逸脱する者に生における保証は無い」と言うエリート官僚。そしてそれぞれが「俺は俺を肯定する」。


物語自体が哲学をいくつも問いかけてくる。生死不明の人質のために失われる多くの命。無神経に煽るメディアに対して行われる「メディアチキンレース」。「秩序を守るのなら、生命を差別せよ」そうしなければ、人権人命尊重などのお題目のせいで多くの命が失われる。「個と集団」秩序を保つために優先されなければならない「集団」を守る者達と「個」を肯定する者達。


心理描写、社会描写もものすごくリアルだ。死を覚悟していた人質がいつ生への執着心を見せるのか、犯罪者の親がどのように追いつめられていくのか、親友と自分の命を天秤にかけられたときに人はどんな表情を見せるのか。


スケール、迫力、哲学、ありとあらゆる面でおそらくこれ以上の傑作は今後出てこないのではないかと思う。