大好きだった女の子が創価学会員だった

一昨日、高校のときに大好きだった女の子の家に泊まってきた。僕一人ではなく男4女4の大所帯だったけど。その女の子は体育会で同じ係りで、男女一組の障害物競走を一緒に走ったりとか体育会の準備をずっと一緒にやったりした子だった。ちょっと不細工で男勝りだったけど、とても活発でみんなに明るく接するので人気者だった。僕はずっと彼女のことが好きで、彼女と同じ係りを無理してやらせてもらったりして積極的に仲良くなったりした。特別なあだ名で呼び合ったりもした。勘違いかもしれないが、彼女の方から障害物競走のペアを申し込んできてくれたし様々な行動からたぶん僕だけの片思いではなかったと思う。


でも、僕がフラグをバキバキに折ったせいで結局彼女と付き合うことはなく、高校を卒業した。僕は高校を卒業しても彼女のことで頭がいっぱいだった。受験も彼女のせいでしっぱいしたと行ってもいいほど毎日彼女のことばかり考えていた。あの時ああ言っていたら・・・あの時ちゃんと彼女の気持ちに応えていたら・・・そんな妄想で1年を過ごした。夢にもしばしば出てきたし、街に出歩くときは奇跡的に出会わないかなとか考えていた。


そして、高校の集まりで彼女と久しぶりに会った。やはり胸は高鳴り、浪人生活で正直荒んでいた心も本当に浄化された気分だった。その日の流れで彼女の家に泊まりに行くことになった。何度か友達として泊まったことはあったが今回は頭が真っ白になるほどに緊張した。それほど彼女が好きだったことを自覚してしまったのだろう。


彼女の家は大きかった。たぶん二世帯住宅だったからだろうが住宅街で一際目立つ大きさだった。彼女の家に着くと奥の和室の大部屋に通された。そこには、遊びやすいように食べやすいようにと用意された大きなテーブルと大きな仏壇があった。このときは仏壇に全く違和感はなく、ただただ今夜みなと語り明かすことにわくわくするのみだった。


久々の彼女はやはり不細工だったが美しく、魅力的だった。僕は小説やドラマの主人公が思うように彼女のためならどんな犠牲でも厭わないと思った。夜も更け、話は弾み、僕は長らく忘れていた彼女と話す高揚感を思い出していた。そのときふと顔を本棚に向けると、そこには古い本がたくさん並んでいた。池田大作の文字。


確実に彼女のものではないだろう。祖母のものか、親のものか。しかし僕は、体が高鳴り同時に冷めていくのを感じた。彼女の魅力が全て偽者に見えるようになってしまった。たぶんネット依存症の僕が勝手に彼女に蓋をしてしまっただけなのだろう。人はつまらない理由だと言うだろう。でも僕にはそれだけで十分だった。
その後大学生の多聞にもれず、彼女にも男が出来ていることがわかった。半日前の僕が聞けばストレスで吐いていたことだろう。僕は彼女がすでに雑音になってることに驚いた。


彼女をあきらめる理由を探していただけだったのかもしれない。創価学会なんて本当にどうでもいい些細なことだ。
「好き」ということは理由がないもので、「好きだから好き」としか言いようがない。たぶん「好き」じゃなくなるのなんてそんな些細なことなんだろう。