伊集院光を超える芸人はいないと思う。

伊集院光といえば知る人ぞ知る天才ラジオDJである。ラジオで芸能界に入り、もうすぐ20年になる。その天才的なしゃべくりは熱狂的なファンを多く獲得しており、彼らは伊集院のことを「痴豚様」と崇拝している。wikipediaをみると松本人志よりも島田紳助よりも伊集院光の項目の方が圧倒的に長い。確かな笑いのセンスを持っており、ブレイクする前の「アンタッチャブル」や「サンドウィッチマン」を無名な頃から評価していた。


そんな伊集院のラジオの熱狂的なリスナーである僕だが、ファンの間では有名であるらしい「焼きモロコシ事件」というものの古い音源を最近YouTubeで発見した。

焼きもろこしスナック盗み食い事件
1999年3月29日(第181回)、お腹が空いた伊集院が自分のお金で買って来た「焼きもろこしスナック」を自身が寝ている間に誰かに4分の3 程度食べられてしまったことに対し、番組冒頭から憤慨。オープニングテーマをかけて誰が食べたか告白させたところ、ニューヨークに行くため退職直前だった池田卓生ディレクター(現:プロデューサー)だったことが発覚。伊集院は完全に構成作家渡辺雅史が犯人だと目星を付けていたため驚愕し、「発つ鳥後を濁すのもいい加減にしてくれ!」とのコメントを残した。
伊集院光 深夜の馬鹿力

このエピソード自体は知っていたのだが音源を聴いたのは初めてで、聴きながら伊集院の凄さを再確認した。ここでいう凄さとは「才能」とかではなく、「ラジオに対する姿勢」や「リスナーに対する愛」のことだ。


wikipediaには「憤慨」と書かれていたが、僕が聴いた印象では明らかに伊集院は声をつまらせて泣いている。お菓子ぐらいで大袈裟なとかおもうかもしれないが、これは至極自然なことで誰にでも共感できるはずだ。本人が言っているようにその日はハードスケジュールだったのだ。「お堅い番組」という言い回しから、おそらくは伊集院にとってストレスな一日だったのだろう。そして、その日の最後の締めとして伊集院を心から愛しているリスナー達に聴かせるラジオに向うのだ。なんとかギリギリで踏ん張っているところを心がくじけないようにと、自分へのご褒美を用意した。それは何でも良かったのだろうが今回の伊集院の場合は「焼きもろこしスナック」だったのだ。


自分も小学生のころに似たような経験をしていて、当時僕は冬休み最後の日に例のごとく大量の宿題をやっていた。そんな僕をよそ目に他の兄弟は母親が焼いた焼き芋をおいしそうに食べているのだ。母親は「ここにとっておくから全部宿題終わったら食べていいからね」と僕に言い残す。そして必死になって宿題をかたづけて、疲労困憊しながら焼き芋を食いにテーブルに向うと、もうそこにはないのだ。何も知らなかった父親が食べてしまっていた。
僕は何故か狂ったように大泣きした。別に焼き芋がそんなに好きだったわけでもないし、当時そんなに食べたかったわけでもない。しかし、僕はただそれだけを励みにして大仕事をやっつけたのだ。「焼き芋を食べるという行為」が僕にとってとても大切なことだったのだ。


伊集院光の場合も似たような心境だったのだろう。しかもこの場合は信頼しているスタッフに「盗み食い」されている。自分にとってとても価値のあるものを価値のわからない奴に持ってかれる。そしてそいつは隠れてしまっている。
もし僕が伊集院の立場だったらキレて帰るか、ラジオで毒をまきちらすだろう。しかし伊集院は違う。そんな最悪の状況下でもリスナーが自分に何を求めているかちゃんとわかっている。なんと、憤慨しながらもそれを面白おかしいトークでネタとしてしゃべっているのだ。声をつまらせながら。


伊集院のラジオではこういうことが多々あって、たまに真面目な話をするときでも面白くないと判断すれば急にふざける。五味プロデューサーに喧嘩を売られたときも正論を言いつつユーモアで返し、当時居候だったアシスタントの高野が家賃をごまかす等の伊集院に対する裏切り行為をしたときも、キレながらもギャグでリスナーを楽しませることを忘れていなかった。


最近、芸人達が芸人ではないありのままの自分をさらけ出すのが流行っているみたいだが、ピエロがピエロを演じていると観客に思い込ませることの出来る芸人が一流の芸人だと思う。
僕は伊集院光を超える芸人をまだ知らない。