Angry BirdsのRovioはなぜ任天堂ではなくDisneyを目指しているのか

Angry Birdsが世界的にムーブメントを起こしていて、Rovioはポップカルチャー新時代の象徴みたいに祭り上げられているのだけれど、そのゲームメーカーRovioが目指しているのが任天堂ではなくDisneyだというから面白い。その理由を今日考えていたのだけれど、これからはキャラクタービジネスの時代になってくるのかなと思った。


エンターテイメント業界を「プラットフォーム」「コンテンツ」「プラットフォーム + コンテンツ」に分けたとき、最近はコンテンツを提供するプラットフォームが昔よりも増えてきて、iOSAndroidfacebookやらYouTubeまで、いろいろなコンテンツの提供手段が増えた。いちいち水を汲んできて売るよりも水道管を作って利用料をとる方が大きなビジネスができるため、プラットフォーム群雄割拠みたいな時代になり、その中でも世界に大きくアピールできるプラットフォームが増えてきたと思う。


お金になるのだからプラットフォームの構築をみんなが狙っていくというのは当たり前なのだが、そうやってプラットフォームが乱立してくると、コンテンツを提供する側にも大きな利益が出てくる。以前よりもものすごく少ないコストで莫大な人々にコンテンツを提供することができるようになった。iOSで作ったものを次はAndroidで、DSで、みたいにコンテンツを使い回すことで利益を上げやすくなってきた。そしてRovioはAngry Birdsを当てた。


Angry Birdsを当てて、普通の企業ならば「よし、じゃあ続編を作って利益をだそう。別のヒット作をだしてゲームメーカーとしてブランド化を図っていこう」となると思うんだけど、Rovioの戦略はなんとAngry Birdsのキャラクタービジネス一点突破。これはすごい。もちろん、続編や他のプラットフォームでの展開によってコンスタントに利益をだそうとしているが、それはおそらくキャラクターの定着を狙ってもいるのだろう。早い段階でアニメーションを作りアニメ化の実験を始め、ぬいぐるみやiPhoneカバーをつくって売り始めた。最近ではfoxの映画とのコラボをやっている。


なぜRovioはモバイル会の任天堂としてのヒットゲームメーカーにならずに(もちろん任天堂は「コンテンツ + プラットフォームなのだけれど)、Disneyのキャラクタービジネス路線を選んだのか。それはおそらく「コンテンツビジネスの究極の形がキャラクタービジネスだから」だと思う。漫画と小説の違いは何かというと「キャラクターとストーリーのどちらを優先しているのか」で、キャラクターを優先すれば漫画的になり、ストーリーを優先すれば小説的になる。キャラクターを優先したラノベは小説よりも漫画的な文化が根づいている。キャラクターを優先した場合、ストーリーは二の次となるために、キャラクターさえハマっていればストーリーは後からどうにでもなるという状態になる。漫画やラノベの二次創作が盛んなのにもこれが一因としてある。つまり、誰もから愛されるキャラクターを創り上げれば、どんなプラットフォームでも対応でき、キャラクターが一人歩きしてキャラクター自体をブランド化することができる。キャラクターが様々な形のコンテンツに変形し、そのたびにキャラクターの支配者に利益をもたらす。究極にはDisneyになるのだろう。


Rovioは今がプラットフォーム時代だと気づいていて、iPhoneAndroidfacebooktwitterYouTubeと様々なプラットフォームでAngry Birds(のキャラクター)を提供している。キャラクターを発信する手段がいくつもあり、それを最大限に有効活用している。圧倒的速度でキャラクタービジネスを展開し、Disneyが何年かかって地道に人々に呼びかけて創ってきたかわからないものを、本当にわずかな時間で創り上げようとしている。そのうちAngry Birdsのキャラクターグッズが増えてRovioに莫大な利益をもたらすだろう。ただのゲームメーカーではない。コンテンツビジネスの王者を最速で歩もうとしているのがRovioなのだ。