ロックミュージカル映画の傑作「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」を観てくれ

とにかくヘドウィグ・アンド・アングリーインチを観てから感想を述べて欲しい。独自の解釈でも、直感的な感想でも良い。そしてそれをネット上に残して欲しい。僕が残らず読むので。


僕が尊敬している女性がいる。彼女はいろいろな種類のバイトをして貯めたお金で世界中を見て回るというようなアクティブな人で、ものすごく目を開いて生きている人だ。その人に一番好きな映画を聞いたら「とにかくヘドウィグを見なさい。そして感想を伝えなさい」と言われ、その足で借りて帰った。感想は「この映画は魂を揺さぶる」


もともとブロードウェーでロングヒットだった作品を、キャストそのままで映画化したのがこの映画だ。それゆえに、雰囲気が抜群にでていて、細かい演技のひとつひとつがこの映画の完成度を高めている。主人公ヘドウィグの半生をロックミュージックの曲で回想するようにして全体が進行して行き、その歌詞のひとつひとつがこの映画の哲学となる。以下ネタバレ含めた僕の感想と解釈。



僕が思うに、この映画の哲学は「人は皆、不完全な自分の片割れを探し求めているが、そんな片割れなんか本当はいない。ありのままの自分を受け入れることが完全な状態なんだ」ということで、「ありのままの自分」を受け入れるのはとても寂しいことだというメッセージがこめられている。


不完全な姿を象徴しているヘドウィグは「東ドイツと西ドイツの壁」を乗り越えて来た「男と女の中間」の人物である。自分がなんであるのか、自分を愛してくれる人はどこにいるのかを探し続けている。ヘドウィグは自分の片割れを探し求めるが、ヘドウィグを愛する人にはことごとく逃げられて、それでもなお探し続ける。そしてその果てに気付かされるのだ「探し求めている自分の片割れなんて存在しない。ありのままを受け入れるしかない」。それに気づいたヘドウィグは最後の最後で自分の本当になりたかったロックスターの象徴であるトミーになる。それを仲間のイツハクにも歌で説き、イツハクも自分のなりたかったドラァグ・クィーンの象徴であるヘドウィグになる。そして、二つに割れていたヘドウィグのタトゥーもひとつになる。完全な姿にもどったのだ。しかし、その完全な姿のヘドウィグが最後に寂しい路地裏で一人佇み、完全な人間は一人なのだ、寂しいものなのだというメッセージが伝えられる。


僕が一番好きなシーンは上の動画のorigin of loveの最初のヘドウィグの表情だ。まさに絶望と怒りが絶妙に現れている。そして、最後のヘドウィグがイツハクに問いかける場面で、ヘドウィグとイツハクが手をあわせてリズムをとるシーンも好きである。ヘドウィグがイツハクを覚醒させているのがよく描写されている。

間違いなく傑作映画だと思うので、是非みんな見て欲しい。

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ [DVD]

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