おれたちはいまこそポン・デ・リングを再評価するべき

日本は今、一億総ポン・デ・リング時代に突入している。誰もが口を開けばポン・デ・リング、どこの家庭も夕食はポン・デ・リングである。このことに異論を唱える人は居ないだろう。僕の主食もポン・デ・リングだが、なぜここまでポン・デ・リングが世界を席巻しているのかというはなしを今日はしておかなければならない。


「きっちゅや、これをお食べ」と女将が僕に小皿を差し出す。直方体の上半分がムース下半分が桜餅のケーキのような和洋菓子、白玉とあんこに桜の葉がそえられて、桜のソースがかけられている。老舗小料理屋であるウチの店の、春のコース料理のデザートである。板長が気まぐれに作る料理には当然名前がない。今日生まれたばかりのこのデザートにも名前がない。だから、従業員総出で試食をしてあれやこれやと名前を相談するのだ。


一口食べると、口の中が桜の風味で満たされる。ムースの柔らかい口触りと、桜餅のざらざらとした食べ心地が、絶妙な食感を生む。桜餅、ムース、あんこ、と甘いものだらけなのに、それぞれの味が相乗して素晴らしいものになる。少しずつ口に含んで味わって食べたいようなデザートである。しかし、問題はこのデザートのネーミングで、全く新しいこのデザートに名前を付けて、お客さんにわかりやすくアピールしなければならない。「桜のご飯ケーキ」という僕の全力をそそいだ渾身の一名を出すも板長に即却下されてしまい、お手上げである。


新しい食べ物というもの時代の流れとともにどんどん生まれてくるものだけど、未知の食感や味を見事に名前に昇華して世を席巻したものは少なくない。コークなんかその代表例だけれども、もっと僕の中の大ヒット商品で言うとガブリチュウとかバブリシャスとか雪見大福とかポン・デ・リングなのである。その中でもポン・デ・リング登場の衝撃は凄まじかった。「ポン」ときて「デ」で「リング」である。このもちもちとしたよくわからないお菓子はもうポン・デ・リングでしかありえない。完璧にこの新しいドーナツを言い表している。ポン・デ・ケージョというブラジルのパンをモデルにしたので、名前もそれをもじったものらしいのだが、名前がドーナツにマッチしすぎている。この名前あってのポン・デ・リング時代である。素晴らしい。この名前は世界を制するにふさわしいものだ。


新しい食べ物に名前をつけるというのは本当に難しいものだが、次々と上手いネーミングを見つける度に世界の底力を感じる。大体そんな感じの今日この頃。