twitterをやってる人は目を開いて生きているように見える

最近twitterをやっている人とリアルで会う機会が増えて来た。それらの人はtwitter上でのイメージと違うことが多く、所謂「twitterをやっていそうにない人」だったりするのだが、実際に話してみると例外なく目を開いて生きているなという印象を受ける。


話す内容は他の人と変わらないし、風貌も普通の「プロフェッショナルっぽくない人」なのに何故そのような印象を受けるのかなと思ったら、答えはとても簡単だった。twitterでその人がどうゆう哲学で生きているのかを知っているからだ。その人が生活していくうえで、どのような考えのもとにどのような行動を起こし、どのようなことに怒りどのようなことに笑うかを把握した上で、その人を観察できるからだと気づいた。


人は誰でも何かを考えて生きているもので、その辺の頭がにわとりみたいなギャル男も香水臭いおばさんも何かを考えて生きている。でも、なかなかその頭の中を覗く機会がないので、その人達の生き方が評価されることはない。「何も考えずに生きてるんだろーなー」とか思われる。その点twitterは限りなく自分の頭の中をさらけ出せるので、それがどんなに小さなことでも自分の哲学を公開して認識してもらえる。その人の哲学に触れるということは、ベクトルがどのような方向に向いていたとしても感心してしまう。「夢に向かっている姿はかっこいいメソッド」と似ているかもしれない。


なかなかアピールの苦手な人でも、自分をアウトプットしやすい仕組みがtwitterにはそろっている。「follow,remove文化」然り「いまなにしてる?の一言」然り。だから、自分をアピールすることが苦手な人で社会から評価されてない人でも、twitter上で再評価を受けることもままある。なんでこんなにユニークな人が社会的な地位が低いんだろう、とか度々思う。


だから国がtwitterを国民に義務化して、企業はtwitterのログとかを参照して採用不採用を決める時代がくればいいなとか思ったけど、よく考えたら仕事をせずにtwitterにうつつをぬかしてるから社会的地位が低いことに気づいた。世の中シンプルじゃない。