駿台の模試が初音ミクが流行った理由について教えてくれた
先日受けた「第4回 駿台校内テスト」の現代文の問題でオタクについての言及があった。
「シャア」や「綾波」などの言葉が随所にちりばめられているという、なかなか香ばしい文章であった。
まず今回の模試の内容は、東浩紀著の「ゲーム的リアリズムの誕生」からの出題だった。
ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)
- 作者: 東浩紀
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/03/16
- メディア: 新書
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この文章は最近ニコニコなどによってオタク文化に触れることの多い僕にとってはとても納得のできるものだった。オタクに限らず最近の物語と呼ばれるものはこうゆう風潮があるだろう。
例えば、「ハルヒ」や「らき☆すた」をつまらないというひとがいる。おそらく文学が好きなおっさんにハルヒを読ませても何が面白いのかわからないだろう。それは、おっさんは物語のストーリーを楽しもうとしてハルヒを読んでいるためで、それが根本的に間違っている。ハルヒはハルヒのキャラクターを楽しむのが正しい読み方であり、物語はそのキャラクターを引き立たせるための単なる入れ物なのだ。
これが「キャラクターの自律化」であって、これを前提に考えていくと「十二国記」や「ドラえもん」でさえもラノベ的な若者文化であると言えるだろう。
また筆者はキャラが物語に優先して行くことによって、二次創作という市場ができたとのべている。消費の対象がキャラクターであり、物語は単なる入れ物となっているのだから、入れ物を変えるだけの作品群の出現は自然な流れなのだろう。萌えアニメはキャラクターに萌えられればプロの作品だろうが、アマチュアの作品だろうが関係ない。ドラえもんのオリジナルの話を作るのも、そう難しいことではないだろう。
しかし、村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」で二次創作が出来るだろうか。キャラクターには名前もついていない、淡々と物語が進んでいくストーリーとして完成しているこの作品で二次創作が出来るだろうか。
こう考えていくと初音ミクは今の若者を中心とするオタク文化に完全にマッチした商品だったことに気づく。オリジナルはキャラクターのみであり、今まで「二次創作」といわれていたものを「オリジナル」とする。物語をつむぐ場はニコニコを初めとして、無限に広がるインターネット上にいくらでもある。つまり、直接の製作者ではなかった人々いじられることが前提なのである。
初音ミクを販売したクリプトン・フューチャー・メディアのうまかったことは、「キャラクターを動かす権利」を商品として販売したことだ。動けば動くほどキャラクターが育ち、同時に初音ミクという市場も育つ。人々が二次創作をすればするほどキャラクターの価値は高まっていく。
アイマスなんかはその育てる過程からも収益を上げる。
今後はキャラクターを商品化するサービスがヒットするのではないだろうか。もしくはニコニコ動画のように二次創作という名目でそのキャラクターを育てる場所を提供するサービスだ。
ディズニーはキャラクターをガチガチに守って、箱入り娘として自ら育てて出荷する。
初音ミクはキャラクターを人々に自由に育ててもらって出荷する。
どちらが今後成功していくだろうか。