「いじり」なんだからマジになったら負け

僕は今、予備校でいじめられている。
世間一般ではいじめとは呼ばないのだろうが、被害者の僕が「いじめられている」と感じているのだから、それはいじめなのだ。


予備校は特殊なコミュニティーを形成する。
高校のように学園生活仲間を半強制的に押し付けられるわけでもなく、大学のように自由にコミュニティーを広げられるわけでもない。
1年きりの無常な関係で、他の学生とは違ってtodoリストの一番上に勉強が入っている。
クラスというものが一応あるが、単調に授業をこなすだけで友達が自然発生するイベントがあるわけでもない。
基本は自分の出身校の奴らとつるむので、友達を作るときにはそれを意識的にこなさなければならないのだ。
もちろん、予備校での友達というのも多いのだろうけど、やはりそこからは独特の音がする。
僕はそんな予備校に浪人生として通っているのだが、そのコミュニティーの異様さに嫌気がさしてきた。
僕のコミュニティーは予備校のコミュニティーの中でも異様なのかもしれない


僕の予備校には同じ高校だった奴らが15人ほど来ているため、自然とそいつらとつるむようになった。
新しい友達も何人かできたが、高校三年間をともに過ごしたやつらがいるのだから自然と行動を一緒にするメンバーは決まってきた
しかし、そのメンバーは僕が高校のときにつるんでいたメンバーとは少しずれているメンバーだった


僕はそのメンバーの汚らしさにだんだんと気づいてきた
昼食のときに一番盛り上がる話題は高校のときの友人達の陰口だった
クラスにいる他の予備校生たちに変なあだ名をつけてはニヤニヤしていた
そして僕が一番許せなかったのは、一緒にいる仲間に身体的特徴を中傷するようなあだ名をつけて盛り上がっていたことだ
正直、僕はそんなに聖人でもないので陰口や他人に対するあだ名などで怒りを感じることはない。
ただ、つまらない話題で盛り上がってるなあ、と心の中で思ったりするだけだ。
しかし、友達の身体的特徴をみんなで嘲るのは少しいかがなものだろうか、と思ってしまう。
自分でも中途半端な正義感で偽善者ぶってるなと思うけども、感情論なのでしかたがない。


そしてその矛先が僕にも向うようになってきた
僕は嫌なことは嫌というB型な性格をしているのだが、彼らがいくら僕のことを中傷してきても言い返すことが出来なかった。
僕が泣き寝入りしたわけでも、ぐっとこらえたわけでもない。
彼らにとってのその「暴力」は冗談だったからだ


ある日の昼食のときの話だ
この日は僕が話しをして、みんなが笑うというかんじで雑談をして盛り上がっていたのだが、みんなが盛り上がってうるさくなってきたときに、その輪に入りきれてなかった一人が僕の飲んでいたペットボトルを机の上からはたき落とした。
僕は「は?」みたいな顔をして正直キレていたのだけれども、他のみんなは大爆笑しているのだ。
何が面白いのかわからない。
僕は彼に「拾え。」と落ち着いて言ったが、今度は僕の弁当箱が床に叩き落とされていた。
みんなやっぱり笑っていた。
僕は再び拾うように支持したが彼は拾うような気配は全くなかった。僕はかなり不愉快な顔をしていたと思う。
そして空気を読んだ別の友達が慌てて拾いに行こうとしたので、結局僕が拾いに言った。


彼らにとってそれは「いじり」と呼ばれる冗談で、マジになったら負けなのだ。
空気を読むことの出来ない奴はコミュニティーからはじかれる。
そのとき僕が空気を読めていなかったのがばれていたのだろう、僕はコミュニティーからはじかれた。


彼らはおそらく「いじめ」をやっているという意識をもって「いじり」をやる。
正確に言うと「いじめ」とは違いターゲットをいじめるのが目的ではなく、「いじり」という形でいじめることにより自分の地位を確かめるためだ。
いかに冗談のような感じで攻撃をできるかが、いじりの上手さなのだ。


僕が思うにいじめをやっている彼らは「正義」なのだ
いじめは「悪」が行うのではなく、「正義」がマジョリティーとなったときに「相対悪」に対して行われる。
だからこそ彼らは「冗談」という免罪符の仮面をつける必要があった。


前述の通り、予備校で出身校のコミュニティーからはぶられる(正確に言うと表面上は普通に接しているのだが)となかなか面倒くさい
予備校では他のコミュニティーへ逃げることも、難しい。
このようなことがあっても逆らうことができないので、どんどん助長していくのだ。
だからこそ僕は耐えてきたのだけれども、先日見切りをつけて彼らからフェードアウトするように決心した。
だが僕は何かを失ったとは思っていない。
つまらない話をする新しい友人は、今の僕にはシェへラザードのように感じられる。