僕はおつかれリーダーだった

何事にも手を抜いてのらりくらりと生きてきた僕だが、人生の中で一度だけリーダーとして頑張った時期がある。高校最後の体育会だ。


僕の通っていた高校は昭和の香りの残る伝統的な高校で、イマドキの若者からは想像できないようなアツい高校だった。中でも体育会は生徒が企画運営を全て行い、学年を問わずに全校生徒が一丸となって行う大イベントだった。「だるい」とか「めんどくさい」とか言う生徒が一人もおらず、夏休みに出てきてはダンスの練習や応援合戦に使う小道具を一生懸命作る、みんな体育会が楽しくて仕方が無いのだ。体育会が終わったあと、解散式で全員涙を流すような高校が他にあるだろうか。高校を卒業して数年経っても、体育会のメンバーで学年関係なく同窓会をしているような高校が他にあるのだろうか。


そんな高校に通っていた僕は、三年最後の夏に体育会のあるリーダーをした。「おつかれリーダー」だ。僕と友達二人の三人でおつかれリーダーをやった。おつかれリーダーとは「おつかれ」を指導するリーダーのことで、みんなの疲れを全力でねぎらうことが仕事だ。練習の終わりに数分間「おつかれの時間」というものが与えられる。そのときにおつかれリーダーが前に出てきて「おつかれ」をしなければならない。


「おつかれ」には体育会のブロックによっていろいろなスタイルがある。みんなで一緒に「おつかれソング」を歌う白ブロック。女子3人がみんなと掛け合うように「おつかれリズム」をとる青ブロック。おつかれリーダーがネタを披露する黄ブロック。そして僕らの赤ブロックは基本的にドラゴンボールの替え歌の「おつかれソング」をふり付きでみんなと歌うスタイルに、その場のノリで指名された人が「おつかれのかけ声」をするというもので、たまに不定期でおつかれリーダーによるネタ披露などをしていた。


僕はこのおつかれリーダーに全力をそそいでいて、ブロックを盛り上げるために必死で「おつかれ」を考えていた。「おつかれは疲れをとるためにやるのではない、さらに疲れるためにやるのだ」というのが伝統的に受け継がれている「おつかれ」のポジションで、「おつかれ」のノリがチームの雰囲気を左右するといっても過言ではなかった。僕らおつかれリーダーは全力で「おつかれソング」を考えたし、盛り上がりそうなネタをひねり出していた。


たぶん後輩とか「アホなことをやっている奴らだな」とか思っていたと思う。でも僕らはそう思われるために、ドラゴンボールの替え歌を何時間もかけてつくったし、「女の子にいじられたときの俺のモノマネ」とかもはやモノマネでもなんでもないネタを練習したりしていた。それがブロックのためで、体育会で必要なことだった。


リーダーには「リーダーハチマキ」が与えられる。「お針係」の子達が何時間もかけて縫ってくれたハチマキで、一人一人の名前が刺繍してある。このハチマキは体育会を率いてきたリーダーの証であり、みんなの憧れだった。体育会前日にこれがおつかれリーダーにも与えられた。僕らの頑張りはみんなに届いていた。僕はとても嬉しかった。まさかこのハチマキを自分もつけれるとは思わなかった。練習中とか休み時間とか別にハチマキがいらないときでも、ハチマキつけてみんなに見せびらかしたりしていた。「おつかれリーダーのひとですよね?」とか下級生に話しかけられて写真をとったりもした。


体育会が終わり、解散式のリーダー挨拶のときに最後の「おつかれ」をした。他のリーダー達は自分たちの体育会にかけてきた思いをアツい言葉にかえてみんなを泣かせていたりしたが、僕らはマヌケな「おつかれソング」だけで最後の挨拶を終えた。みんな最後の最後でさらに疲れてくれたと思う。今年も夏が始まる。