食器洗いをすると生産性が上がる

僕はずぼらでとてもだらしないのでやらなければならない仕事がすぐにたまってしまう。特にPCの電源を入れてしまうと滅多なことじゃ動かないので何もできなくなってしまう。するとまたどんどん仕事がたまり頭がごちゃごちゃしてきて、なんにもやりたくなくなってしまうのでとても具合が悪い。だから僕はそうゆうときに食器洗いをすることにしている。


食器洗いは良い。手が塞がり、視界が限定される。ただただ思考に集中することができる。ネットをしてるときに考えたことはその場でネットを使い解決しようとしてしまう。実際に動かないといけないことはネットが終わってからと後回しにして、結局何もかわらない。でも、食器洗いは本当に純粋な思考ができる。今やるも後でやるもなんにもない。それがとてもよくて、次に何をしなくちゃいけないだとか、あれもやらなきゃいけなかったなだとか、仕事を頭の中で雑念なく整理することができる。


食器洗いは強制的にネットからリアルにシフトする儀式であるとともに、自分がやらなければならない仕事の一つである。溜まっている仕事はどこから手をつければいいのかわからなくなって嫌になることが多いけど、食器洗いがその第一歩となっているのでそれから先がスムーズにこなせる。この第一歩が大きい。仕事の山にとりかかった最初の一歩で仕事の整理をすることができるのだ。


食器洗いをしていると無心になることができる。大げさな言い方かもしれないけれど、無の境地というか神がかった集中力の状態に入る。たぶん単純作業をすることで雑念が払われていきそんな状態になるのだろうが、これが頭の中を整理するのに最適な感じだ。単純作業による精神統一という点で写経の原理と似ているかもしれない。そう考えると食器洗いがものすごく哲学的な行為に思えてくる。