「愛のムチ」という言葉があるけれど、人を育てるときに厳しくやるだけやっても、やられた側が「愛のムチ」だと理解していないと意味がないと思う。会社の研修で、アホみたいに厳しいものがあるけれど、会社側の意図を理解すれば合理的だったり、素晴らしい研修内容だったりするのだけれど、そのバックグラウンドを新人に説明するだけの能力がないのならば、その研修はするべきじゃない。それは会社を恨ませるだけだし、入ったばかりの新人に会社を恨ませるというのは、リスクしか産まない。投資を回収しようとしたら他者にうつられる。

自分に正義があるだけで突き進む人が多いけれど、それを説明しないで自分の中で完結している人多い。そういう人にはあまり近寄らないようにしている。

電子書籍は「1時間以内で読める本」が定額課金で読み放題になると思っている

随分前にwiredのvol.2を読んだんだけど、一番読み応えのあった特集で「読むが変わる」とか言うのがあった。その内容はすでにweb上で公開されているので、一読した方が良い。この特集を読んで、なんとなくだけれど、電子書籍の未来が見えてきた。電子書籍は1時間以内で読める本が月額980円とかで読み放題になると思う。


まず、現代人は本を読まない。僕もほとんど本を読まないし、たまに読んでも小説を読むくらいだ。かといって、文章を読まなくなっているのかというと全くそうではなく、むしろネット上で浴びるほどの文章を読んでいる。ネット上の文章は、読者に読ませることに必死だ。どうやったら読んでもらえるのか、それを追求した結果、簡潔な文章だとか、おもしろおかしい文字装飾だとか、画像をちょいちょい挟んだりだとかをして、ものすごく読みやすくなっている。そういった文章に慣れていると、本を読むのは苦痛だ。多くの本は明らかに冗長的であって、同じ事を何度も何度も言っている。


本は出版しなければならないので、コスト面からのプレッシャーが入る。どのくらいの内容を書かないと出版できないだとかで、作者も読者も得しない感じの冗長的な文章が書かれてしまう。しかし、電子書籍ではそんなことはない。ちょうど良いくらいの長さのコンテンツを出すことができる。雑誌よりの特集記事よりも長く、新書よりも短いくらいの。1時間以内で読めるくらいの。wiredのシングルストーリーズを読んだが、読み応えのある良質の記事が20分位で読める。TEDのトークを聴くくらいの時間があれば、珈琲でも飲みながら消費できる。もちろん読み物であるので自分のペースで能動的に消費することができる。


そして、電子書籍のようなデジタルコンテンツビジネスを考えると、どうしても意識してしまうのが、音楽業界だ。本人たちが意図していたのかしらないが、音楽業界はデジタルコンテンツ市場の先駆けとなって、様々な取り組みがなされている。今後どのようにデジタルコンテンツビジネスが収束していくのかと、音楽業界をみてみると、おそらく、あらゆるデジタルコンテンツはspotify型やhulu型で配信されるようになるのではないのかと思う。基本無料で広告付き読み放題、月額980円とかで付加価値つきの読み放題。


デジタルコンテンツは所有の感覚が少ない。所有することに意義を覚える人は、いつまでも物理書籍やCDを買うだろう。電子書籍をダウンロードしても、正直、所有している感覚はなく、「読めるようになった」としか思えないのではないだろうか。しかし、すべてのデジタルコンテンツにアクセス可能になったとき、人はどのような感覚になるのか。spotifyユーザーは「すべての音楽を所有している感覚」になっている。所有というか概念から解放されているのだ。デジタル化されたコンテンツは、デジタル化された時点からこちらに進化していっているのではないだろうか。すべてを所有した状態がスタートで、そこから自分のプレイリストを作っていく、という形で今後消費されていくのではないだろうか。


また、spotify周辺をウォッチしていると、非常に面白い。すべての音楽に誰もがアクセスできるという状況になると、人々が参照するデータベースとしてspotifyを使い始める。「facebook上で何を聴いているのかを共有すれば、それを見た友人が即座にその音楽を聴くことができる」という前提が無料で聴き放題モデルだと成り立つので、人々がspotifyを使って音楽を共有し始める。つまり、このソーシャル時代、人々の話題に上がろうとしたら、聴き放題読み放題モデルは非常に都合が良い。広告付きであれ、無料で提供できるのならばそれに越したことはない。たとえ有料であっても、ある程度の地位を築くことができれば、ユーザーはダウンロード型よりも定額課金型のコンテンツにリンクをはって話題にするはずだ。なぜならば、ダウンロードだと共有する相手に課金させるので責任が伴う。定額課金だったら、無料にせよ有料にせよ、すでにそのサービスを使っていればそのコンテンツを見ることに金額的な負担がおこらないので責任が発生しない。ユーザーが紹介するときの心理的負担が少ないので結果的にfacebooktwitterで話題になる。ブログでも参照される。


巷では有料のメルマガが流行っているらしくて、なかなか内容の濃いコンテンツを味わえるらしい。おそらく、価値のある文章の書ける個人はたくさんいて、そしてそれにお金を払っても良いという人もたくさんいる。いまはメールという媒体が最もユーザーを開拓しやすいからメルマガが流行っているけれど、だれもが電子書籍を読むようになったらそちらで配信されるようになるだろう。電子書籍も基本無料で読み放題にしてユーザーを開拓するべきだが、価値のある情報があれば有料で会っても確実に売れる。基本無料で有料コンテンツは定額課金で読み放題なのがベストだと思う。

面白い人がつまらない人に攻撃されてアカウント消していくの何度かみたことがるけど、つらい。リアル友達のアカウントが面白かったんだけど、いつの間にか消えていた。リアルの活動とネット上での活動を直結していると、リアルでの人間関係のせいでネット上での活動まで制限されたり圧迫される。そういうのが嫌だから、リアルとネットでは分けたほうが良い。俺はリアル知り合いでも不快だったり、俺に実害がでそうならremoveしたりしてるけど、そういうのしない人多そう。それで面倒くさくなって面白い人のアカウントが消える。もったいない

もうすぐ引越しをするので、いらないものの処分とかをしている。と言っても、あまり物を持っていないので、ほとんど処分するものはなくて、本棚の書類を捨てたりスキャンしたりしている。

大学の授業で使ったレジュメとかを処分したりしていたのだけれど、資料性がある気がして、処分する時にためらったりもする。でも、授業を真面目に受けて、そのレジュメを隅々まで勉強していたとかならば良いのだけれど、そんな風に集中した授業は少なくて、大半の授業はレジュメの内容をみても思い出せないものばかりなので、レジュメに載っていることを勉強し直す必要が今後出てきても、一から勉強し直すのとおなじになる。それならば市販の本だとかインターネットの方がよさそうなので、結局スキャンせずにほとんど処分した。

ただ、自分が興味を持って勉強した授業は覚えていて、資料を見ただけで思い出せるし、実際にその知識をつかうときに参照したりしたので、そういった資料はスキャンすることにした。高校の時の物理だとか、TOEICを勉強した時に使っていた教材とか、論理学とか、統計データ解析とか、は自分にとって価値のある資料だった。

世の中では自炊とかいうのが流行っているけれど、本一冊をスキャンするのはものすごく手間がかかるし、すべてをやるのは非効率だと思う。その本の資料性を考えて、あとから見返すもののみをスキャンしたほうが良い。でも、本とかは世の中にいくらでも新しくて面白いものがあるのに、同じ本を何度も読み返すとは思えない。自分が読み返す本は何冊かあるけれど、それは手元においておいてもコストがかからない程度なので、スキャンせずに所持しておくことにしている。そんな今は価値があると思っている本も、数年後には価値を見いだせなくなって捨てている気がする。昔、貴志祐介の小説をアホみたいに読み返していた時期があって、それからしばらくたってすべて処分した。その後にまた全部買い直したことがあった。スキャンするよりも、そんな感じになるのがベストだと思う。

コミュニティではそれぞれのコミュニティに関する考察記事やネタが出てくる。

はてなならはてなの考察が出てくるし、twittertwitterに関する言及がtogetterによくまとめられる。それは当たり前なのだけれど、tumblrみていると、tumblrに関するパロディ画像とかがよく流れてくるのが笑える。tumblrって自分からコンテンツを発信するものじゃない気がしていて、とくに日本人は完全にwebクリップとして使っているのだけれど、そこにtumblrネタを流してくるのが面白いし、意外性がある。tumblrにコミュニティ性は薄いような気がしていたのだけれど、しっかりとコミュニティ性があって、tumblrtumblr民であることにアイデンティティを持っていて誇りを持っているというのがちょっと微笑ましい。

facebookにはあんまりfacebookの考察記事とかネタとかは流れてこないんだけど、それはfacebookがメディアではないからかもしれない。twittertumblrやはてなを使っているときは、そのサービスと対話している感覚がある。そのサービスに文章なりなんなりを投稿して、そこを媒介としてみんなに伝わる。たぶん構成しているユーザー全体をtwitterとかtumblrっていうサービスでくくっている。だから考察記事とかネタとかを書いてしまう。でも、facebookfacebookと対話しているって言うよりも、友達に直接対話している感じがある。facebookは意識の外に消える。skypeでもそうだし、デバイスならiphoneipadもそんな感じがする。iphoneを操作しているときはアプリと対話していて、iphoneは意識しない。たぶん、サービスとしてユーザーのアイデンティティ視点を当てていくと、どこかで閾値を超えて、サービスではなくユーザー自信とコミュニケーションをしている感覚になるんだと思う。UIとかUXも関係している。

メディア設計かコミュニケーション設計かの違いがココら辺に出てきている気がする。

tumblrwikipediaから抜粋して流している人たちがいて、面白い。

おもしろいなって思った文章の引用元がwikipediaだったとき、wikipediaにこんなの載せんなよってのと、なんでこんな項目みてんだよってのとで、やられたって気分になる。引用とか、そういう一部分をみたメディアによって印象が植えつけられるのは結構好きで、tumblrは引用だの名言だの2chだのがすべて平等に扱われてtumblrにでてきたって印象が植えつけられるのが良い。

一部から他の部分が補完されたりとかする瞬間も好きだ。一行しか引用されてないのに全文が想像できたりとかはとても良い。

コンテンツは切り取り方が重要で、切り取り方が面白ければなんでもない日常でも、ただの個人情報でも面白くなる。tumblrでは一度読んだ2chまとめとかから面白い切り取られかたしたものが流れてきて、思わずreblogしてしまう。

ウェブサービスでもなんでも、本当に一般レベルまで普及するには伝説が必要だと考えていた。

facebookなら映画、twitterならオバマ大統領が使っていた、2chならバスジャック事件。そんな感じの伝説があれば一気に普及する。

プロダクトを良くして行ってもストーリーがなければ普及しない。現代芸術もそんな感じな気がする。