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コミュニティではそれぞれのコミュニティに関する考察記事やネタが出てくる。
はてなならはてなの考察が出てくるし、twitterはtwitterに関する言及がtogetterによくまとめられる。それは当たり前なのだけれど、tumblrみていると、tumblrに関するパロディ画像とかがよく流れてくるのが笑える。tumblrって自分からコンテンツを発信するものじゃない気がしていて、とくに日本人は完全にwebクリップとして使っているのだけれど、そこにtumblrネタを流してくるのが面白いし、意外性がある。tumblrにコミュニティ性は薄いような気がしていたのだけれど、しっかりとコミュニティ性があって、tumblrはtumblr民であることにアイデンティティを持っていて誇りを持っているというのがちょっと微笑ましい。
facebookにはあんまりfacebookの考察記事とかネタとかは流れてこないんだけど、それはfacebookがメディアではないからかもしれない。twitterやtumblrやはてなを使っているときは、そのサービスと対話している感覚がある。そのサービスに文章なりなんなりを投稿して、そこを媒介としてみんなに伝わる。たぶん構成しているユーザー全体をtwitterとかtumblrっていうサービスでくくっている。だから考察記事とかネタとかを書いてしまう。でも、facebookはfacebookと対話しているって言うよりも、友達に直接対話している感じがある。facebookは意識の外に消える。skypeでもそうだし、デバイスならiphoneやipadもそんな感じがする。iphoneを操作しているときはアプリと対話していて、iphoneは意識しない。たぶん、サービスとしてユーザーのアイデンティティ視点を当てていくと、どこかで閾値を超えて、サービスではなくユーザー自信とコミュニケーションをしている感覚になるんだと思う。UIとかUXも関係している。
メディア設計かコミュニケーション設計かの違いがココら辺に出てきている気がする。