おれたちがtwitter検索の向こう側にのぞむもの

おれたちが春先の気温の変化に肉じゃがを腐らせて四苦八苦している頃に、twitterは検索機能の強化に四苦八苦しているので、おれたちは肉じゃがを泣く泣く捨ててtwitterの検索機能について目を向けなければならない。twitterの検索機能は収益化に向けての素晴らしい一歩なのだろうけれども、おれたちにとってそれはtwitterライフの良い意味での劇的な変化を迫ってくるもので、これは小躍りせざるを得ない。


何が凄いって、他のライフログサービスには無いtwitterの巨大なスケール感がもろに感じられるようになるのが凄い。twitterは驚異的なスピードで成長を遂げているわけだけれども、ユーザー一人一人にはその成長があまり感じられない。それはtwitterの性質によるもので、同じ話題をしていても全く違う個々でTLが流れているtwitterというのは、個人個人が己の世界でtwitterライフを満喫していて、誰一人他人と同じ世界に共存していない。だから外の世界がどうなろうともおれたちには関係のないことで、最初に作り上げたtwitter世界の中にしがみついて一生をすごすわけだ。


しかし、検索機能の登場でおれたちも外界に目を向けざるを得なくなって、それはtwitterが成長していく様を直に目の当たりにすることになる。伊集院光について話題を追っていてもほとんど情報がなかったのに、twitterが大きくなればなるほどおれたちは伊集院光についてのtwitterライフを満喫することができるようになる。


さらに凄いのが、検索機能の強化によって、ユーザー達が検索を意識して己の発言に自主的にタグ付けをしていくであろうことだ。自身の発言が検索にひっかかるように意識して発言していく。今検索されているワードを意識して発言することによって、まさにテーマ別の巨大チャットルームのようなものができあがる。タグというのは例えだったのだけれども、そのままハッシュタグとい文化も根付くと思う。検索によってテーマができるということは、発言する為の場所ができるということで、はてなハイクのようにこれまでよりもtwitterにとけ込みやすくなる。


春先に肉じゃがを常温保存しておくと大変なことになるけれども、twitterに検索機能を導入するだけで大変なことになる。そんなおはなし。