「障害者」を「障がい者」って書かないといけないらしい

今日、自動車学校の教科書を見ていて疑問に思ったのが「障害者」を「障がい者」と表記していることだ。この教科書は全ての漢字にふりがなはうってあるが、ある程度は難しい漢字も使ってあるためにこの部分だけいつもひらがなというのに違和感を感じていた。そして、家に帰ってからネットで調べてみると「障がい者」と表記しよう運動というのがあるらしい。

近年、特に1990年代後半あたりから「害」の字が入っているのは害のある人と受け取られる可能性があるため好ましくないとして、障碍者・障碍児と書いたり、交ぜ書きで障がい者・障がい児と表記を変更する動きがあり、近時の役所や公的文書、また公共性の高い民間企業である携帯電話会社が発行するパンフレットに記載の「障がい者」を対象にした基本使用料金等の割引案内などでは「障がい者」と表記されることが増えてきた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85


「障害者」と書くと差別になるらしい。あほか。「害」という漢字がマイナスイメージを与えるためひらがなで書こうって話らしいけど、弱いものを過剰に保護する日本らしさがいい感じで出ている。だいたい、「障害者」は「障害」「者」なのであって「害」という字だけを抜き出す意味がわからない。常用漢字をひらがなで書くのにとても違和感を感じる。僕は健常者なので、この表記の仕方が障碍者(しょうがいしゃ)の方々にどれだけの精神的負担をかけているのかが理解できてないということを自覚した上で思ったことを書く。


このように「障がい者」とわざわざ強調して書くことの方が障碍者の方々を差別してるのではないのかなと思う。僕はゆとり世代ど真ん中なので、障碍者の人がクラスに必ず一人は居るという環境で育った。普通に仲良く接したり、普通に喧嘩したりした。「みんな仲良く平等に」がモットーのゆとり世代なので、差別だとかをする奴はクラスにほとんど居なかった。でもどんなに普通に接していても先生は「体の不自由な人を差別せずに普通に接しましょう」とか言っていて、差別をしてるのはお前じゃんとか思っていた。


よくわからないけど、障碍者の人たちは不自由なことが多くて、健常者の人たちはそれを助けたりとか認識しておかないといけないわけだ。だから自動車学校の教科書にもわざわざ「障がい者が道を歩いてるとき」とかいう項目があるわけで。だからいくら「差別をしてはいけません」とか言われても障碍者は特別扱いをしなければならない。でも、特別扱いしすぎているとそれは差別だとかいうことになるから、「障碍者は特別視した上で普通に扱いましょうね」みたいなことになる。もうなんか矛盾だらけだ。


僕らは健常者であって、どうあがいても健常者である限りは障碍者の気持ちを知ることができない。どんなに気を使っても「お前らに障碍を持った気持ちはわかんねえよ」って言われたら反論できない。自分たちよりも立場の弱い相手を保護しようという行為は、どうしても自分の方が立場が強いということを前提としていなくてはならない。だから、健常者が障碍者を同じ目線で保護しようとか考えているのは土台むりなのだと思う。「障碍者の気持ちを考えて」とか考えることは大切だけれども、障碍者の気持ちは健常者はわからない。


障碍者差別をなくそうと健常者が思うのならば、「自分は健常者で障碍者の気持ちなんかわかんねえよ」って開き直ってやらなければならない。中途半端に障碍者を気遣ったりしているから、アホみたいに「体の不自由な人とは仲良くしましょう」とか繰り返す先生が出てくるし、「障がい者」って書けばやさしくね?とか脊髄反射で言い出す奴がでてくるのだと思う。自分は健常者だと開き直っていれば、「普通に扱いすぎることによる特別視」がなくなるのではないだろうか。


とにかく言葉に過剰に反応する今の風潮はどうにかしてほしい。