大人の作り出した完璧な子供「まえだまえだ」

5/12放送の深夜の馬鹿力伊集院光がちびっ子漫才師の「まえだまえだ」について言及していた。その日の話題は「嘘」についてだったのだが、子供のつく嘘は可愛らしいが、まえだまえだが大人につかされている嘘は恐ろしいと言うようなことを言っていた。伊集院は「はじめてのおつかい」が好きなことは伊集院の書籍などでも述べられていて、「はじめてのおつかい」にでてくる子供がつく嘘は可愛らしいと感じるそうだ。音源がないので引用ができないため、以下伊集院光の意見の要約を覚えている限りで記しておく。

子供のつく嘘は稚拙だからこそ愛おしいと思うのだ。みんな子供は純粋無垢な存在だと思っているかもしれないし、現にTVチャンピオン等の番組では子供は純粋で嘘をつかないからと子供を審査員にすることもあるが、それはおかしい。子供ほど空気を読み、嘘をつき、平気でひどい悪戯をするものはない。ただ、それでも子供が純粋だと感じられるのは子供の嘘が稚拙で丸わかりだからだ。嘘をついていない完璧な子供よりも、節々で稚拙な嘘をついているがそれが全て嘘だと把握できている子供の方が安心できる。自分の手のひらで踊っていると確認できている。


しかし、「まえだまえだ」はそうじゃない。大人に言われていることをパーフェクトにこなしている。嘘をついているところが見えないからこそ恐ろしく感じてしまう。ネタがつまらないとかそうゆうのではなくて、お笑いを見ますよって準備していたところに完璧な子供がやってきたからこそ不安感に襲われるのかな。


あの二人は大人の書いた台本を完璧にこなしているんだろうけど、お前らもう突っ込みどころがないけど大丈夫かって思ってしまう。子供であること以外になにも武器はないのに子供を武器につっぱしってて大丈夫かって思えてしまう。俺はあれにOKは出したくない。


このようなことを痴豚様はおっしゃっていた。確かに言われてみるとその通りだと思う。「まえだまえだ」はネタがつまらないとか子供としての可愛さを武器にしてることが腹立たしいとかではなくて、子供らしさが完璧であることが逆に不自然であるような気がする。完璧ではないからこそ子供らしくて愛おしいのに、彼らにはそれが見受けられないのだ。そしてこのまま子供であるという芸風で突っ込むのは絶対にどこかで破綻する。
大人が作った完璧な子供という芸術品が彼らであるのだ。


参考
伊集院光深夜の馬鹿力 月曜深夜 1:00~3:00 大絶賛放送中!!