携帯メールを廃止した

メールというものは滅んだ方が良いと思うし、近い将来滅ぶのだと思っているのだけれど、携帯メールに関してはもうおれ観測範囲では滅んでいるので、iPhone5への買い替えにともなって携帯メールを廃止した。

携帯メールというものは、連絡先の保持にやたらとコストがかかるにも関わらず、めったに使っているやつはいない。そのくせにこれまで自分の人間関係の権化だったアドレス帳は、携帯メールのリストをもとに作成されているため、これに縛られている人がまだまだ多い。このご時世にキャリアをかえるたびにいちいちメールアドレス変更をアナウンスして、エラーがかえってきては死にたくなるという、おそらく総体で見ると確実に日本国内を不幸にしているシステムである。

この不幸なシステムに一石を投じるべく、携帯メールを廃止した。facebookで「携帯メール廃止したので、もう送ってこないように」と投稿し、500円ほどfacebookに支払って、sponceredポストとしてfacebook上でつながっている人全員にアナウンスをした。facebookとlineでつながっていない人間関係に、何の価値があるのだろうか。

今までやってこなかった未知のことを、そして、複雑で想像がつきにくいことを、「あなたはできるの?」って聴くのはおかしい。「できそう」となら答えられるかもしれないけれど、普通は「ちょっとできるかどうかわかりません」としか答えられない。ヤル気さえあればできるだろとも言えるけれど、正確じゃないし、「やる気があればできるのならばできます」と言い返すしかない。でも。それが出来なかったときは「できなかったのですが、それは私にやる気がなかったからではなく、あなたの『やる気あればできる』という前提が間違えていたのだと思います」とはいえない。

できるかどうかを判断すべき人が判断せず、それを相手の言質をとることで責任を丸投げするのは卑怯だと思う。判断できる人がコントロールするべきだし、判断できないのならばそのリスクを考慮するべきだ。

ジオフェンシングが物事の手順をゼロにする力があると考えている。チェックインが面倒くさくて4sqを使うのをやめたんだけど、ジオフェンシングで自動的にチェックインできたら良いと思う。確かそんなスタートアップが結構前に話題になっていた。

squareのカードケースっていう決済方法は革命的で、いままではお金を渡すという手間をかけて買い物をしていたところを、ジオフェンシングで決済手順をほとんどゼロにした。こういうなにか物事の手順をゼロにするというものは、ビジネスになるし、ライフスタイルに大きく影響を与える。

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あまりにもクソみたいな研修を押し付けられていたのだけれど、今日とうとう反乱が起こった。新卒が次々と怒りを人事にぶつけて、それに対してみんなが拍手喝采みたいな感じだったんだけど、結局何も変わらなかった。もうひと押しというところで真面目な奴が事無き感じにまとめてしまって、有耶無耶にされた。このクソ研修はまだまだ続く予定で、例年だと今後も理不尽ポイントが残っているみたいなので、そこでまた新卒一揆が起こる可能性がある。感情にまかせて怒りをぶつけはじめた、たった一人の新卒の一人相撲になりそうだった今回の件も、拍手の援護射撃をしたことで反乱まで膨れ上がった。今後も率先して煽っていきたい。これから目が離せない

自分の得意分野の話をするのが怖い。自分の世界に入っていないかだとか、周りから浮いてないかだとかが気になって仕方がない。

最近新卒入社して、新しく人と会う機会が増えているけれど、いきなり持論を展開してきたり、夢を語りだしたりする感じの意識の高い同期が山ほどいて、すごく気持ち悪い。僕は人の話をきいたりするのが好きだし、他人の日常生活だとか、他人の人生観を垣間見るのは好きなのだけれど、こういった自分の話したいことを自分のために話すみたいな人達の話は全く面白くない。相手のことを考えて話しているのならば、それは自分をコンテンツ化しているということだし、僕は楽しんで聞けるのだけれど、そういうことを全く考えていない。

僕はウェブ系の話とかが結構好きなんだけど、いざそういう話題になったら、意識的にブレーキをかけてしまう。自分が変に暴走している気になるし、その話題に食いつくことで、相手に自分の中身を覗き見られる気がしてならない。先日も先輩社員の人たちと話していた時にpaypalとsquareの話しになって、僕は「squareのカードケースみたいなサービスが今後主流になって決済方法に革命が起こる」みたいな話を熱くなり過ぎないように注意深く話していたのだけれど、他の人がsquareどころかpaypalも知らなくて、一気に冷や汗をかいた。squareは知らないだろうと思って意識的にわかりやすくはなしていても、paypalを知らないとは思っていなくて、すごく変な気分になった。

持論を展開するのは相手がいないところがよくて、そういう意味ではブログとかが適している。